ウガンダ、ケニア、タンザニアでは、英国植民地時代は、東アフリカシリングとして同一の通貨を使用していたが、ウガンダは1962年の独立後の1966年ウガンダシリングを東アフリカシリングと等価交換の形で発行し、その後、1987年100:1のデノミ(通貨単位の変更)を行った。
赤道直下の内陸国であるが、ビクトリア湖の水が循環する高地で気候が良く、かつてはウガンダ1国でアフリカ全住民の食料を生産できると言われた肥沃な国土を持つ国である。
虐殺された人数は多いが、有史以来一人の餓死者も出ていないという。
英国植民地時代は、綿花などの商品作物の生産地で、ナイロビは、ケニアのモンバサ港からウガンダの首都カンパラに向かう商品作物運搬用の鉄道の峠の街として建設された都市である。
鉄道建設のために移住させられたインド人の末裔がウガンダなどの東アフリカの経済を握っている。
カンパラはチャーチルがアフリカの真珠とと呼んだ都市である。
相次ぐ圧政と内戦により開発から取り残された国であるが、近年ようやく政治的に安定し、開発に向かっている。
1ウガンダシリング=およそ0.028円(2020年3月現在)